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2016-03-13

アメリカ日系一世ロバート汐見の足跡(5)アメリカン・ドリーム

戦後、ポートランドに戻ってからのロバート汐見の人生はアメリカン・ドリームを体現するものであった。

ロバートは名医として知られ、飛行機で診察を受けに来る患者もいたと言う。自宅兼医院を構えたワシントン・パークの東側、サウス・ビスタ・アベニューは、当時メイド以外の有色人種が居住を許されない地域であった。どの様な経緯でロバートがその地域に住居を購入する事が出来たのかは分からないが、ポートランドでも長く続いた人種差別の壁を破った画期的な出来事であったと言う*。この家は今でもポートランドにあり、不動産売買サイトで外観から室内等が見られたが、裏庭には日本より移植したと思われる大きな枝垂れ桜があり、望郷の念を感じる。花盛りには観光バスが横付けしたと言う。(写真1)

写真1 裏庭の枝垂れ桜
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娘のスーザンとキャロルはリベラルな教育方針で知られるケイトリン・ゲイブル・スクールに通った。学校年鑑に写るスーザンは日本人の面立ちながら自由闊達なアメリカンガールの表情が興味深い。(写真2)次女のキャロルはスタンフォード大学に進学し、現在はカリフォルニア郊外のロス・アルトスで夫君と共にITに関わる仕事をしている。

写真2 ケイトリン・ゲイブル・スクール1958年学校年鑑より(前列左から2番目がスーザン)
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ちなみにケイトリン・ゲイブル・スクールは元国連難民弁務官、現JICA特別顧問の緒方貞子氏の母校でもある。父君の中村豊一氏が1932-1935年までポートランド総領事を務めた際に当時5-8歳の貞子嬢が通ったのが同校の前身であるケイトリン・ヒルサイド・スクールである。ロバートは中村家と懇意であったと言うが、自分の娘を貞子嬢と同じ学校に入れ、東京に住む姪(西村の母)には氏の母校である聖心女子大学を勧めたと言うので惚れ込みようが察せられる。さぞ聡明な少女であった事だろう。ロバートは「貞子の世話をした。」と後々まで懐かしく語っていたと言うが事実関係は判らない。緒方氏の記憶と異なり、学校側の記録には1946年まで学籍が残っているため、あるいは学籍の維持に一方的な骨折りをしていたのかもしれない。

また、ロバートはオレゴン大学への母校愛が深く、アメリカン・フットボールの試合には家族揃ってスクールシンボルの白いカーネーションと緑の”O”を誇らしく襟にあしらい、愛車の1949年型パッカードに乗って大学のあるユージンまで繰り出したと言う。(写真3)

写真3 1949年型パッカード(Wikipedia「パッカード」より引用)
1949packard

後にロバート一家は近隣のサウスウェスト・パークプレイスに自宅を移した。男爵邸を移築したという豪邸である。次女キャロルより自邸での結婚式の写真をご提供頂いた。(写真4)家族ぐるみの交遊があり、結婚式にも出席した夏目漱石の曾孫ケン・マックレイン氏は「数多くの列席者と自庭の噴水からリビングルームまで続く長いバージンロードは、教会か大きな披露宴会場の様だった。」と語る。
写真4
1968cookieswedding

ロバートは余暇の多くを庭仕事に費やし、よく庭師に間違われたと言う。

*「Robert Shiomi」 Isaac Laquedem ブログ 2004年5月9日付
http://isaac.blogs.com/isaac_laquedem/2004/05/robert_shiomi.html

**住所は1111 SW Vista Avenue、後に転居した自邸は2370 SW Park Placeである。複数の不動産サイトやGoogle Mapで閲覧可能。

 

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