日系移民記事一覧
ロバート汐見は2004年5月2日、ポートランドで99歳の生涯を終えました。
地元紙オレゴニアンに小さな死亡広告が載り、とあるブログ*に掲載された追悼文には「ロバート夫妻はポートランドで長く続いた人種差別の壁を打ち破った。」と書かれています。
*「Robert Shiomi」 Isaac Laquedem ブログ 2004年5月9日付
http://isaac.blogs.com/isaac_laquedem/2004/05/robert_shiomi.html
汐見の再生が足踏みしていた時期に、ふと佐島で一度きり会った大叔父ロバートのことを調べ直そうと思いました。母から断片的な話を聞かされていただけで、履歴も人柄もほとんど知らない遠縁に過ぎなかったのです。
あまり期待しないでネットサーチを始めましたが、1907年付けの曽祖父佐市のアメリカへの入国票を見つけ、そこからすっかりハマりました。曽祖父が渡米していたこと自体を知りませんでした。
また、佐島で聞き取りからカナダ東岸への移民が多かったことが判り、この夏には5代前の祖先で繋がるカナダ在住の同い年の親戚と汐見で出会う僥倖にも恵まれました。先祖との縦の繋がりと今現在の横の繋がりに感嘆するばかりです。
ロバートは地元の名士だったようで多数の資料が残されていましたが、一緒に見つかった先祖達の人生の断片に出会うのもまた大きな収穫でした。
19歳で三原からお嫁に来て、23歳の時に夫の佐市が渡米した後たった1人で2人の息子を育て上げた曾祖母のマン。息子は2人とも10代で島を出て戻らなかったので、長い間1人で汐見を守りました。おおらかな人柄でおマンねえと慕われたそうです。
曽祖父の佐市は渡米してもまともに仕送りせず、帰国してからも働かず本ばかり読んでいたそうです。汐見の納屋から洋書が沢山出て来ました。一方で庭に太神楽を呼んだり8mmの映写会を開いたり、夏は港のあたりで夕涼みをしながら子供達に色々面白い話を聞かせていたと、島の皆さんに教えて頂きました。
夭折した子供もありました。
様々なエピソードに触れてから家計図を見直すと、一人一人の名前が大河ドラマのタイトルに見えます。
激動の時代を生き抜いた全てのご先祖に敬意を表さずにはいられません。
面白いものを見つけた子供のように「見て見て!」と綴って来た「ロバート汐見の足跡」ですが、これで区切りを付けたいと思います。新しく判ったことは追々足して行きます。
ご協力頂いた皆さま、拙い文章にお付き合い下さった皆さまに心より感謝申し上げます。
2017年12月30日
西村 暢子
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